ごぶごぶごぶの日記

お金をかけない東京散歩ほか、走ること食べること思うことを書いてます

クリスマスイブ

12月24日。
もちろんヨメとは安定の別行動ですよ。
聖夜の前の昼間に、セイヤ!セイヤ!って掛け声を入れながら、クリスマスイブに中野から浅草サンダーゲート 雷門!まで、ラン仲間たちと走りました。

スネークボーンバス蛇骨湯!って名の銭湯に入って汗を洗い流し、浅草寺近くのホッピー通りで煮込みとホッピーです。
煮込みしかないくじら屋で〜🎶の煮込みです。くじら屋も近くにあるよ。

走って飲むと回るのが早いのは、血流が良くなってるからなんやろか。2時間制で飲んでたら、回りすぎて眠くなって記憶があまりないんですよね。酒にはだいぶ弱くなったもんだ。
しかし飽きもせず毎年毎年、
今も昔も皆さん、ぼくも年末はよー飲みますね。でも
今日は我慢しました。明日もガマンしよう。
少しずつ酒は減らしていきたいんだけどね、。。
飲まなくても大丈夫なカラダになりたい。

それよりまた走りましょう^_^

家に帰ってヨメの機嫌を損ねてフグおごらされて、そこでも飲んじゃってダメダメの聖夜でした。。

 

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ボヘミアン・ラプソディをみてたらU2が聴きたくなりました。

みましたよ。良かったですよ。でもボクはクイーン世代ではないからそこまで詳しくはないのだが、劇中でかかる曲はすべてタイトルを言えるくらいは知ってますよ。クイーンの全盛期は70年代でもちろんリアルタイムでは聞いてないから、いまいちピンとはこないのですが。でも今でも世代を超えて、なんていうんですかね、世界から愛され続けるバンドなんだスゴい人たちなんだとは思いました。

ラストのLive AID 1985の実際の映像を初めて見たのは20代当時働いてた会社の、いつも謎の青いバンダナをまいた音楽好きな先輩が貸してくれたVHSでみたのが初めてで、DVDではなく海賊版のVHSです。オフィシャルも売ってたけど、当時かなりのお宝であちこち探し歩いたけど手が出なかった。90年代後半くらいですね。U2Live AIDに出てたのを見たくて仕方なかったのです。その先輩がVHSを貸してくれたときの興奮は良く覚えてます。まだ若かりしボノが客席に降りていって女の子と抱き合って物議を醸した映像はくっきりと脳みそのどこかに残ってます。いまでもライブの時に彼は客席から女の子を上げて抱き合うという変なクセが直ってないのがオモシロいんですwあと高校生の詰め襟の学ランみたいな衣装着てるのに親近感が沸いたのもなつかしいですね。あの頃のU2はまだ若手でギラギラに尖っててなんか危ない感じがカッコ良かったね。。革命!とか血!とか当時のアイルランドの危ない感じプンプン漂わせてました。それでもボクがハマってた頃にはすでにスーパースターになっていたのだけれど。。その頃のボクはU2の大ファンでそれはもうメチャクチャU2フリークで、日本公演は2回行きましたよ。2回目の時はさいたまスーパーアリーナで客席がカオスになり、山手線朝の8時台以上の大混雑すし詰め状態のなか、どんどんステージに向かって最前列近くまで進んでいくとボノとエッジに目が合ったなんてスゲー興奮してました。
そんなU2ファンです。だからLiveAIDの記憶はU2以外でいうと、まだアイドル風だった頃のマドンナとか、クラプトンがレイラを演奏してるのしか覚えてない。そんな印象です。

でもフレディはインド人だった。とかレディガガはレディオガガからとった名前だった。バルセロナ五輪のオフィシャルテーマソングはフレディが歌っていたぐらいのことは知ってますよ。あと日本でその人気に火がついたことも知ってますよ。でも映画の中ではそのことについては触れられてなかったね。

しかしブライアンメイは相当似てたね。本人やんwなんやあれ、びっくりしたね。ようあんなん見つけてきたな。

今回のこの映画の大当たりでハリウッドが味をしめて他のアーティストの映画を量産してくれたらうれしいな。もちろん U2の映画も作ってくれたら最高やな。

要するにボクもよく知らないあの時代にはクイーン以外にもU2ツェッペリンやマドンナやボブディランやスティングやデヴィッドボウイやほかにもすごいアーティストが沢山いて、そのひとつひとつに物語をのせた映画を作ってくれたら最高やなーって思ったという感想です。

 

マイケルとシンディローパーがなんでLiveAIDに出てないのにWE ARE THE WORLDに参加してるのかが気になる(´-`)

 

 

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うどん県高松市

出張でうどん県高松市におります。
昼もうどん、夜の飲みシメにうどん。そしてモーニングうどんでした。
夜のカレーうどんはうまかった。写真撮るの忘れたけどね。多くもなく少なくもない丁度いい量の優しいうどん。やっぱりうどんはカレーです。
朝早く起きて高松市街ラン。繁華街のホテルを出て海を眺めに港まで。平日の出勤時間なのでサラリーマンの間を縫うように10キロ走りました。
高松ってアーケード街がビックリするほど沢山あります。全部合わせると日本一長いらしいですよ。港を見た後は中央通りを南に下り栗林公園へ。入場料を払って中に入ると案内のおっちゃんに声をかけられて園内一周ガイドしてくれました。おっちゃん独り占め^_^朝早かったのでラッキーです。
栗林公園、静かで落ち着きます。広大な敷地の庭園。茶室とか、松林とか、紅葉するもみじ、池の鯉なんか見てると、日本人に生まれて良かった。ありがとうジャパン。エキゾチックジャパン!ゴーゴーひろみ!ゴーゴーカレーうどん!って叫んでしまいました。ウソです。。
そんな高松な日^_^

 

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金のダルマ銀のダルマ

家の近所でお祭りをやっていて、射的の出店に懐かしの「生き残りゲーム」があり、それが異様に欲しくなって店のオヤジにお金払おうとしたら、今弾切れなので近所の松本さんという人の家に弾が売ってるからそこで買うてこい!ってキレ気味に言われたので、松本さんの家ってどこやねん。教えろ!ってオレも負けずにキレ気味に言ったら、松本さんはオーラビカビカやからすぐわかるよーって、今度は優しく言うので、わかった。。って会場近くの家の表札を一軒一軒探してたら松本の表札の奥から、何の変哲もオーラも何もない松本さんが自転車で外出するところで、オーラ!お前が松本か?

はい。そうっす。。

すげーオーラ放っとるやないかあ!射的の弾売ってくれよ。

すると松本さんは、いいっすよ。300発300円っす。安っ!戦後かよ。戦後の貨幣価値か、。

なんてつぶやいたりする。

そっす。。

目玉焼き、ソースか醤油どっち?

そりゃソースでしよ!

そこはソース。もしくはソースっす。やろ。

ソースっす。

遅いわ。。

そんなやりとりの後、ぼくは弾を持って射的の出店に再び戻り1発目で生き残りゲームを当ててしまった。やったぜ!って他の景品も全部当ててしまったら、店の親父が「おめでとうございます。こちらを持って奥のお部屋へどうぞ」、って急にホテルマンばりの丁寧な対応で赤い弓矢を渡され、赤い絨毯が敷かれた奥の部屋に通されると、デラックス生き残りゲームとその横に三億円って書かれた金色のダルマが置いてあった。
「さあ、チャンスは一度だけデラックス生き残りゲームか三億円か!ファイナルアンサー!」
ってセリフの使い方が違うけど、けどそんなもんどうでもええわ。三億円狙うに決まっとるやないか。って弓を引いて弓を射る。そしたら見事に三億円ダルマを落としやったぜーって雄叫びをあげてると、床が抜けてそこに大きな穴があき、金のダルマがその中に消えていった。するとゴゴゴ〜って大きな地割れみたいな音がしてその穴から大量の水があれよあれよという間に溢れ出し、その場一面が大きな池になってしまうのでした。

池の周りには誰もいない。気がつけばホテルマンばりのオヤジもどこかへ消えてしまっていた。

池の水面がキラキラと静かに輝きだし、池の底から金色の錦鯉みたいな衣装をまとった樹木希林が突然現れて驚いた。

あ!樹木希林だ!ボクは指差しながらそういうと、「万引き家族観ましたよ。最高でした!」

でも樹木希林はそれに対し完全にスルーするー。そしてこう言うのでした。

「あなたが池に落としたのは、金のダルマ、それとも銀のダルマ?」

うわ!あれや、あの有名なイソップ物語が目の前で繰り広げられとるやないか。。

ボクは迷わずもちろん、「はい。ボクが落としたのは銀のダルマです!」って全力で答えると、樹木希林は銀のダルマをおおきく振りかぶって、ボクの胸あたりに「おりゃっ!」て投げつけるのでした。

しまった、と思った時にはすでに遅く、樹木希林は金のダルマを持ったまま池の底に消えていくのでした。。

っていう変な夢を見ました。

 

皆さんお元気ですか?金曜ドラマの大恋愛が大人気らしいですね。大石静が脚本って知らんかった。彼女の作品って知ってたら最初から見たのにな。って思う土曜日の朝です(´-`)

※写真はイメージです。

 

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東京タワー おかんとボクと時々曇り。

年に一度の「徹子の部屋」の舞台公演を見るのが楽しみで、佐世保から東京にウチのお母さんが遊びにきております。先週は鎌倉、今日は銀座と外苑のイチョウ並木をいっしょに歩きました。
鎌倉の八幡宮を歩いていたら子供が大泣きしている声を聞いて、母はなにかを思い出したらしく、ボクが子供だった頃のことをおもむろに話し出すのでした。

ーあんたが4歳くらいの頃ー
どこかに遊びに行った帰りに車が渋滞に巻き込まれたことがあって、その時におしっこしたいとボクが言うので、そんな時に都合よくトイレがあるはずもなく、当時はコンビニもないから車を降りて路上の草むらで用を足すことにした。渋滞といっても車は少しづつ動いており、ゆっくりできるわけではないので、脇道に急いでチャックとパンツを下ろしておしっこ放尿です。
「放尿だよおっかさん」です。カケてますw
それで用を足した後、急いでチャックを上げた瞬間、ボクは周りに聞こえるくらいの、大声を上げたらしいんですよね。ギャー‼️って。

普段はおとなしいボクがです。驚いた母は「痛い痛いー!」って泣き叫ぶボクが股間を押さえてるので手をどけてみると、ちんこの皮がチャックに挟まってたらしいんですよね。それが痛くて大粒の涙を流してワンワン泣いてたらしいです。
ギャン泣きです。(佐世保では大泣きの事をギャン泣きと言いますw)
皮挟んで上げたままのチャックをそのままにしておくわけにはいかず、再び母はチャックをジャッ!と下ろしました。
再度ギャン泣き。あの痛みをもう一度。
生まれてはじめての痛み。生まれてたった四年目でこの痛みは余るあるわな。
そのあと薬局によって傷ついたちんこに赤チンで消毒。。
っていう痛すぎる思い出ポロポロな話を聞かされました。
そんな話を聞かされると長い間、記憶の森の深い奥に埋もれていた確かな記憶がくっきりと光を放ちながら、あの時の感覚を伴いつつ、ありありと姿を現わすわけです。
なんだか、痛すぎて歯ぐきあたりがワナワナと疼く感じがあって、なんでちんこの皮が挟まれた話をされて歯ぐきが疼くのか意味がわからないのですが。。
そんな話を歴史ある鎌倉の鶴岡八幡宮で聞かされてもね。最後にあの時は悪かったって謝られてもね、
おれは「別によかよ、許す。でもなんでいまそんな話する?」って聞いたら、
「なんか子供の泣き声聞くとそのことを思い出すんよねー」って答えてくれました。

あの時のあんたの泣き声は最高にうるさかったとか、逆に愚痴を言われたりとかね。そらそうやろ、あんなんされて黙ってる子ども方が怖いやろとか思ったりして。。

そんなウチのお母さんです。
かなりレベル高いです。いい感覚してます。
この人の息子で良かったと改めて思いました^_^
そんなお母さんとの思い出。。
面白いツーショット貼っとこ^_^

 

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大阪二泊三日

ヨメが上海に帰省&休みがとれたので大阪に行きました。我が心の故郷「大阪」です。
ヨメには内緒なのでお金はほとんど持たず、新幹線の切符と2万円だけ持って東京から大阪に向かいました。ホテルなんかには泊まりません。子供の頃からの優しく頼れる友達が家に泊めてくれたり、美味しいお酒も飲ませてくれるからです。
お世話になった先輩と昔話をしながらゴハンをおごってもらったり、ありがたき幸せ。
好物のみたらし団子を初めて会う優しい友達におみやげにもらったり、
ホントにずっと会いたかった学生の頃の友達に美味しいうどんをおごってもらいました。
みんな優しい。なんでそんなに優しい。

みんな日々自分をすり減らしながら、身を削るようにしてがんばってる。楽に生きてる人なんていない。なにかと戦ってる。強いな。
しかし皆んな愛に溢れとります。大阪は愛に溢れとりましたよ。

万博公園を走ってたら道に迷いました。友達の家に帰る道が分からず途方にくれながら、野菜売りのおじいさんに道を聞くのですが耳が遠いのでうまく伝わりません。でもすぐに良いタイミングでその娘さんらしき女性が現れ、事情を説明し、その近くになにか目印はないかと尋ねられたので前日に行った焼肉屋とコンビニがあった事を思い出してそれを告げると、その場所のすぐ近くに自分がいることがわかりました。
「この道をまっすぐ行けばええよ。」と女の人。
「この道の次の角を右に曲がったらええよ」とおじいさん。
「いやいや、ちゃうやん。まっすぐやて」と女の人。「なんでやねん右やろ!」おじいさん。
女の人が言ってる事が正しそうなのでまっすぐ走るとすぐに着きました。
なんかそゆのがね、そゆやり取りが大阪っぽい。

靴紐がほどけそうなので、電車の優先席で紐を結んでたら、3人組のオバちゃんが「ほなここに座らしてもらおか」「そやそや」ガヤガヤ言いながらやってきたのでサッと席を譲ると、
「お兄ちゃんありがとさん」って言われたり

チャリンコで走りながら誰かの文句や社会への不満を叫ぶおっさんとか、やたら大声で独り言を言うおっさんとか、大阪っぽいんです。
そんなシーンに出くわすと戻っていくんです。過去の自分に戻っていような気がします。

太陽の塔大阪モノレール阪急電車、阪急服部、石川文化、極楽温泉、お初天神通り、阪急東通り、揚子江ラーメン、兎我野町、関テレ前公園、天六中崎町天神橋筋商店街扇町、喜八洲総本舗、京橋、グランシャトー御堂筋線、心斎橋、難波、薩摩っ子ラーメン、上六、彩華ラーメン、近鉄電車、日本橋、新世界、通天閣ジャンジャン横丁、串カツだるま、飛田新地あべのハルカスアポロビル天王寺藤井寺のパチンコ屋、南海電車、岸和田、カーネーション、コシノ洋装店、高石、難波、純喫茶アメリカン、いちごパフェ、MはSを内包する、うどんの今井、道頓堀、たこ焼き、くいだおれ太郎、グリコ、OPA、バーisn't it、新大阪、。
変わっていく大阪、変わらないままの大阪の風景。

そんないろいろなつかしい大阪です。
久しぶりの人と話していると忘れていたはずの過去が蘇ります。過去の自分に出会う錯覚。
その時の苦しい辛かった事も、うれしい楽しかった事も同質なものとして同じような甘みと輝きますを帯びて心の中にほっと懐かしく思い出されます。
過去は振り返らない。なんてカッコよく言う人は実はカッコ良くなんかない。開き直りの強みを信じるぼくなので、それはそれで良いんです。

また大阪行きます。いつになるか知らんけど。

ありがとさんさん。

 

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カメラを止めるな!

カメラを止めるな!」はザワザワと巷で騒がれ始めて公開延長が決まったあたりの、世間が面白い面白いって大盛り上がりしたあとの、祭りの終わり的な、少しクールダウンしたくらいの時期に観にいきました。

みんなが面白いって絶賛する作品であればあるほどプイと背を向ける天邪鬼なぼくなのですが、あんまり騒がしいのでゴジラビルのエスカレーターの上をやや斜めに見上げながら昇りつつ、そんなおもろいんか。そんなわけないやろ。、なんてひとりごちながら観にいきました。

しかしあっさり手のひら返し。

いや、面白かったです。

なにが?

って説明に入ると全部ネタバレになるので書けなかったのですが、今でも書けないのですが。。

この手があったか⁈って手のひら返しながら思ったのが一番の感想で。

この監督はこの着想を思いついた瞬間、めちゃテンション上がったやろなー。って想像しまいました。

良かったな。売れてよかった。面白いモノを作る人は売れなきゃいけないんだ。当たり前だ。

今時映画監督になろうとするなんて、やり尽くされた燃え尽くされたあらゆるアイデアの荒野の焼け野原の上で、海外でもない今となっては映画の辺境地と成り果てた日本で成功するなんて相当難しいんだろうけど良く見つけたな。それくらい面白かった。

逆にいえば日本だからこういうのが受けたのかな。なんて思ったりして。

「こういうの」ってしか言えないのだけれど。

昔ジャッキーチェンの映画のエンディングのNG集が面白かったのを思い出したりするのだが、あるようでなかった映画で。なんだか新しい映画のジャンルをもう一つ作ってしまったくらいの衝撃がありました。

でもこのネタを誰かが使うとしたら、あーこれはカメラを止めるな!のパクリだな。なんてバレるだろうから、日本でこの手法を用いるのは数十年経たないと無理かもしれないな。

それか、またハリウッドの金満映画会社が権利を買い取って撮り直すっていう事もあり得るな。もちろんやって欲しくないけど。。

どうなんだろ。

もうこの監督はこの映画で引退した方がいいかもしれんね。だってこの先この映画以上に売れる作品を撮ることなんて出来ないだろうから。でも期待はするけど、

映画ではなくてバラエティ番組やAVなんか作ってみても面白いかも知らん。漫才やコントのネタ書いたりとか。。そゆの作ってくれたら見てみたいな。

またあっと驚くようなモノが出来たりして。

なんて。。

 

かなり遅ればせながらの「カメ止め」の感想でした。