ごぶごぶごぶの日記

お金をかけない東京散歩ほか、走ること食べること思うことを書いてます

ばあちゃんの話

ばあちゃんがまだ生きていた4年前の今日、

実家にいる祖母に久しぶりに電話しました。今年で99歳。来年には100歳を迎える祖母です。
彼女は佐世保のとある農家の長女として生まれ、兄妹が8人もいる家庭で、とても貧しく、13歳の頃から働きに出て、貧しいから学校へ行くこともかなわず、働き詰めだった祖母。
成人した頃には一枚の男性の写真を親から手渡され、この人がお前の旦那さんになる人で、いまその人は満州の新京にいるからそこへ行って結婚しなさい。
祖母は国の政策なのか何なのかよくわからないまま、他の同じ年頃の女性たちとその新京へと向い、その人と結婚をし子供を2人産みました。
やがて敗戦を迎えると、その混乱の中で夫とは生き別れとなり、幼い子供を抱え、後方から攻めて来るソ連軍やら暴徒化した中国人たちからなんとか逃がれ、船に乗って再び佐世保に帰ってくることができました。
帰国してからも苦労は続き、夫がいない分、頼る人もないから、自分の力で働いて働いて子供たちを女手一つで立派に育て上げました。
祖母の娘は結婚し、ボクの兄と、ボクと、ボクの弟2人の4人の男の子を生みました。ボクの実家は商売をやっていて、母も働いていたので、家事やわがままなボクたち孫の食事の面倒は祖母が見てくれました。。。

そんな祖母です。

苦労ばっかりで、ずっとずっと働いてなんの楽しみもなく生きてきた祖母です。

去年の正月、もう寝たきりになった祖母とはじめてじっくり話をしました。ボクの幼い頃の話や、戦争で苦労したときの話や、若い頃好きだった人の話や、いろいろ話しました。祖母と一緒に写真を撮ったり、手を握ってあげたり、くしで髪をとかしてあげたりしました。そして、別れ際に祖母は言いました。
「ばあちゃんは幸せやったんよ。あんたたち孫たちにも恵まれて。みんなにやさしくしてもらって、こんないい施設でお世話してもらって。ほんとに幸せやったよ」
そう言いました。

そのあと東京に帰って祖母の言葉の意味を考えました。あんなに苦労しっぱなしの人生で、ずっと働いて、自分の運命とか境遇を嘆いたりしなかったのかな?
ボクだったらそんな人生絶対にイヤだし、例えばもっとお金が欲しいとか、人に認められたいとか、女の子にモテたいとか、そんなつまんないことばかり考えていて、でも今の自分が好きではなくて、仕事が忙しいとか、給料がすくないとか、人間関係で悩んでたりとか、、、、そんなことで幸せではないと感じている。

ん〜、なにを言いたいのかわからんよ〜になってきた。。
つまりなんかよ~わからんのですよ。
その程度で自分が不幸だとか思っているのが。。ちいさくてちいさくて。。
ばあちゃんの「域」にはまだまだ達していない。それだけはよくわかる。
エラいとは思うけど、でも、そんな苦労はしたくない。
でもそういう苦労の上にいまの若い世代がいて、しょーもないことで不幸だと思って自殺したりする。。。

すんませんなにを言いたかったのかよくわからん敬老の日でした。