ごぶごぶごぶの日記

お金をかけない東京散歩ほか、走ること食べること思うことを書いてます

8.15に思うこと

今日は815日の終戦記念日です。
あれから72年が経つわけですね。という自分ももちろん戦後生まれで戦争体験なんて1ミリもないのですが、この日になると改めていろいろ思うところがあります。例えば日米安全保障問題や自衛隊9条についての話。
またまぼは小難しい話をしよる。とか言われるので、別に読んでもらえなくてもいいんです、今の世の中こんなこと考えてる人なんてほとんどいないだろうし、国民の大多数があの戦争や安保についてなんて興味ない事だろうから別にいいんです。
自己満足的な部分もあるので、別にいいん。です。

しかしなぜこんな事を考える様になったのかのキッカケを問われると、色々あるのですが、そのひとつが子供の頃に見てしまった森村誠一原作の映画「人間の証明」のあるシーンがそのはじまりで、他にも米軍基地のある佐世保で生まれ育ったことや、長崎が被爆地であることもその理由なのですが。。
でも、その映画全体の内容は覚えてもないし、自分にとってそこは重要ではないのですが、
あるシーンが強烈に脳みその裏側あたりに今でも残っています。
映画の舞台は戦後間もない日本のとあるどこかの基地がある街で、米兵たちが占領下の街を我が物顔で闊歩し、そこにいいる日本人の全て、商売人も元軍人も警察官もヤクザも、一般の人達みんな、米兵の一団がジープに乗って現れると静かになっていそいそと後ずさって道をゆずる。という描写がありました。あるキレイな日本人の女性が街を歩いてると米兵達に出くわし、取り囲まれます。これから一緒に遊びに行こうと、腕を捕まれ強引にどこかへ連れて行こうとするのですが、その女性は嫌がって抵抗をし、まわりの日本人に大声だ助けを乞います。でも誰も助けようとはしません。女性はさんざん抵抗した挙句、観念し連れて行かれようとするのですが、そこに一人の勇気ある男性が現れ、彼女を助けようとする。しかし体の小さい日本人ひとりvs米兵数人では敵うはずもなく、その男性はボコボコに殴られ蹴られ、最後には米兵たちに小便をかけられて道端にうずくまったまま、そして死んでしまうのでした。死んでしまうのです。
そういう酷いシーンがあって、その映画は祖母の家で二人で一緒にみていて、その時の彼女の表情をよく覚えている。
何か言葉を発していたようにも思うのですがそこは記憶がなく、ただその悲しみに満ちたなんともいえない表情をしていたことを覚えてる。

当時の祖母のことを想像すると、若く元気だった時期を過ごした戦前戦中戦後のことは、ついこの前の出来事のごとく記憶に刻まれ、ぼくには多くを語ってはくれなかったですが、敗戦後に韓国の金城(現ソウル)から幼子を二人もつれて釜山まで歩き、引き上げ船に乗って命からがら日本に帰還したことや、写真一枚だけで会った事もない軍人の男性と結婚した事や、他にも多分孫のぼくには言えないようなつらい事もあったのだろうと思います。
佐世保港の真ん中が米軍に接収され、そこに基地が出来た頃、多くのアメリカ人相手のレストランやバーやクラブで佐世保の街は賑わい、そこに祖母の畑でとれた野菜を街に売りにいった話は何度か聞いたことがあります。その時にその映画に似たような街の光景を見ていたのかもしれません。これはぼくの妄想ですが。。
高校のときに通ってた塾の先生がいて(ぼくより二回りほど年上)、その先生は子供の時に米兵が集う盛り場の近くに住んでたらしいのですが、夕方になるとどこからともなく派手な化粧と服装をした女性が現れて客引きをしていたとか、夜になって売れ残った女性は黒いパンツを履いて道端にしゃがんでた。でもよく見たらパンツなどは履いてなくて、スカートの下はなにもつけず、陰毛丸出しで、びっくりしたみたいな話を聞いたことがあります。戦後の佐世保の基地近くの街の辺りはそんな状況だったらしいです。

そんな自分の妄想と現実が入り混じったような話が頭の片隅にあったりして。
ひと昔前の佐世保の話。
ここから別の話に行きたいのですが。。

戦後から2030年ほどでこの国は奇跡的な経済発展をとげ、高度経済成長期を迎え東京オリンピック大阪万博、東洋の奇跡、所得倍増計画日本列島改造論、その後の第二次ベビーブーム世代のぼく、、、等々景気の良い言葉が並ぶわけですが、
繁栄という国民全員が共有したテーマのもと、モーレツにカネカネカネを追い求め世界第二位の経済大国まで登りつめました。今は違うけど。。
それで手に入れたものは、多額の国債と、超高齢化社会少子化に格差問題、周辺国との不協和音と正体のわからない不安感、etc。。エトセトラ。etc.それはめでたくも素晴らしいことだとは思いますがね、。
その経済に傾倒するあまり、敗戦国としての贖罪は置き去りにされ、その全てはアメリカに肩代わりさせ、それとは引き替えに沖縄を始め日本全国に米軍基地を建設できる権利や、地位協定は見直さない、制空権は米にゆだねる、米の上位軍人はパスポートナシで入国できるなどなど、日米間で数知れずの密約を重ねてきました。

その密約とは日本国憲法の上位にあり、つまり憲法より効力が強いといういびつな形となって現在にいたる。先日、江崎北方沖縄相が「地位協定は見直すべき」と発言した翌日に撤回させらたニュースがありましたが、それはこのことに起因します。そんなの変えられるはずがないのですから、、。密約ですでに決めてしまっていること。
日本と同じあの戦争での敗戦国ドイツは戦後の講和条約に賠償命令が明記されており、周辺の諸国には賠償金を支払い、何度も何度も謝り続け、冷戦期には東西分断を経験し、つらく苦しい道を歩んできたからこそ、なんとか今の地位を確保できました。

現在ドイツが積極的に中東諸国からの難民を受け入れている理由はあの戦争の償いとしての意味合いがあるそうです。いまだにそういう姿勢を貫いている。
その一方で日本は戦後の賠償も贖罪のその全てをアメリカにまかせ、経済発展だけを目標にし、過去に侵略を行った中国や韓国には表すべき贖罪意識ではなく、経済先進国としての優位性を誇示することになりました。そのため、戦後70年間経ったのに、互いの本当の意味での信頼関係を築くことができずに現在に至っています。
その結果日本は世界でただ一国だけ、国連における「敵国」という国際法上最下層の地位にとどまっているのです。

先ほど書きましたが、いまだに米軍に自由に占領されているその状況がその証拠です。こんな国は世界中探してもどこにもない。日本だけ。
アメリカの犬になってればその元で世界三位の経済大国だという夢を見ていられるのでしょうが、ひとたびアメリカから真に独立しようものなら世界で一番下の国際法的位置から出発するしかないし、そこからどうやっていいのかもわからない。

それが今の日本です。

こういうことを考えていると、三嶋由紀夫が亡くなる前に語ったあの言葉を思い出すんですよね。

「私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行ったら「日本」はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。日本はなくなって、その代わりに、無機質な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済大国が極東の一角に残るのであろう。それでもいいと思っている人たちと、私はクチをきく気にもなれなくなっているのである。」

 

なんか眠くなってきた。もう8月16日になってもうてるやん、

寝ます。