カズオイシグロがノーベル文学賞受賞ということを受けてですね、
最新作「忘れられた巨人」についてまとめておきたかったので書いておこう。
最新作といっても出版されたのは2015年で、自分が読んだのは1年前。イシグロさんは寡作なので、数年に一度しか新作は出さない小説家なのです。
いきなりネタバレです。
この物語の舞台はイギリスの中世期。アーサー王のあとの時代。
アーサー王は英国の伝説的な王様なのですが、ホントに実在したかどうかなのかもよくわからない、らしいです。
彼が生きた時代に争っていたブリトン人とサクソン人の戦いの最中、サクソン人のアーサー王はブリトン人を激しい争いの末に撃退して英雄になったという伝説がイギリスにはあるそうです。
それでこの物語はそのアーサー王が亡くなった次の世代にその舞台が置かれています。
その世界には常に霧がかかっている。その霧は山の上に眠る竜が吐く息のせいで、その世界に住む人々は一日前だったり、ほんの一時間前の出来事の記憶さえもなぜか失ってしまう状態で生活をしています。
記憶がなくなってしまうのは、たちこめる竜の吐く息のせいだと人々たちは気づきはじめます。それで、その竜を殺してしまう派と、殺さない派の間に対立が生まれます。
竜を生かしておく派は忌まわしい過去の記憶のせいで争うことになるから、そんなものは必要がない”という主張で、
竜を殺したい派は過去の素敵な出来事、一緒に生活をする妻との愛し合った日々などの記憶をなくすことにとても耐えられない。という考えをもっています。
両者の主張は相容れず、戦いにまで発展してしまう。
主人公の老夫婦は竜を殺したい派。つまり記憶を留めておきたい派です。
さらにネタバレになるのでこれ以降は書かないでおきます。
記憶を忘れるのか、それとも忘れないでおくのか。
ということはいまボクらが住む世界のなかにも通じる重要なファクターとなるのがこの物語の凄み。
イシグロさんはこの作品の解説の中で、こういうことを語っています。
第二次大戦期のフランスの国土のほとんどはナチスドイツに占領されていて、フランス国内の人々は残酷なナチス党員を恐れて、ユダヤ系フランス人を見つけ出しては彼らに引き渡していた。大都市から小さな村々に至るまで密告は横行し、ナチスに荷担するフランス人が国中にいた。
しかし、戦争がおわりフランスが戦勝国となったあと、その忌まわしい記憶を留めておくと国が立ちゆかない状況になってしまうので、当時のドゴール大統領は、そんな事実はなかった。フランス人の多くはナチスに対し各地でレジスタンスとして勇気を持って果敢に戦った。
という風に、別の物語を作ってその記憶を忘れさせ、事実とは違う記憶を埋め込もうとして、あの忌まわしい戦争の記憶を封じ込めた。
コレはホントの話。
こういったケースは、南アフリカのアパルトヘイトやアフリカの南スーダンや、今も内戦中にあるシリアにも当てはまる。
日本でいうと過去に中国や韓国の主権を侵してしまい、たくさんの犠牲者を出してしまった恐ろしい記憶。
今もなお、過去の記憶のせいで中韓との不協和音が現代に至るまで絶えることがない。
そういった厄災を招いてしまう記憶。これは忘れてしまうべきなのか、憶えておくべきなのか、をこの物語の中では読者に問うています。
そういうお話なんですよね。すごく深いです。
イシグロさんは小説家なので、ノンフィクション作家ではないので、いつの時代に誰が何をということではなく、実在しない人物があったかどうかもわからない時代を生きる話のなかで、ボクやこの世界に生きる現実の人々と共有できる普遍的なテーマについて語っていく。
事実でない分、逆にリアルさを感じてしまう凄みがイシグロさんの作品には見られます。
イシグロさん。やっぱりすごいです。
こういう、人々の誰もが理解をし、共有できるテーマを“喩”を用いて描き出す作家なんですよね。
喩とは比喩のことで、何かの大きなテーマを架空の舞台や人物、設定に置き換えて喩える手法です。
そのあたりが評価されて今回のノーベル文学賞に輝いたわけですが、是非読んだことのない人は、読んでみてほしいものです。
比喩が得意な作家。
他の作品もそうです。“日の名残り”“、”私を離さないで“といった他の作品にも「喩」が使われています。
またこれはそれぞれに別の喩が用いられているのですが。。
そこまでの普遍的な物語を紡ぎ出す作家は、今の日本には村上春樹以外にはいないように思っています。素晴らしい技術をもった作家がいることは認めますが、やはり狭くて浅いんですよね。せまい範囲で完結してしまうから世界中の読者には響かない。また、共有されない。
国内ではソコソコなのでしょうが。そんな作家しか生まれない理由は、作家個人の内側にある国家観や歴史観が欠如しているのかもしれないな、なんて思うことがあります。
あと、
ボクもまあまあなハルキストなのですが、彼とイシグロさんの違いについていろいろ思うことはあります。
はっきりとその違いを示すことは、まだできないのですが、なんとなく掴みかけてはいるようです。