ごぶごぶごぶの日記

お金をかけない東京散歩ほか、走ること食べること思うことを書いてます

今日は休み。東京散歩。。

今日は休み。
新宿で映画を1本見て、昨日から決めていた昼メシはわざわざ八丁堀まで電車で移動して長崎菜館の「長崎皿うどん」でした。
会社が恵比寿に引っ越す前まではこの近くだったので、よく通っていたお店。
長崎の諫早出身のマスターにも久々に会いたかったし、皿うどんも食べたかったので行きました。いつも通りのあの時のままの大盛り皿うどんの味でおいしかった。なぜかミニカレーライス(かまぼこ入り)もそのままついていて安定のうまさでした。

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お会計の時、マスター厨房からわざわざ出てきてくれて挨拶してくれた。

精算する時、その腕を見たら、いつも左手で鍋を振ってるのか、右と左手の太さが全然違うんですよね。
頑張ってるな〜、いつまでも美味しい皿うどんを作り続けて欲しいものです。。

映画と皿うどんのあとは特に予定もなく、これからどうしようか。。
横須賀に行く?戦艦三笠をちょっと見てみたくて、。日露戦争秋山真之が参謀長としてロシアバルチック艦隊艦隊を日本海海戦で打ち破った、あの「三笠」ですよ。

日露戦争当時の連合艦隊の旗艦です。
今から約100年前の横須賀で造船されて、江田島を経由してわが町佐世保から日本海海戦に出港したニッポンの命運を握り、戦った伝説的戦艦です。
詳しくは司馬遼太郎さんの「坂の上の雲」を読みましょう。めちゃ長いですけど、めちゃくちゃ面白いので是非。
でもな〜、すでに三時近くになってたので、移動時間を調べてみると見学時間が30分もとれないことが判明し断念。
なんとなく八丁堀から銀座を過ぎ、新橋まで来てしまいました。
歩くか。。歩こう。
新橋からお台場に渡ってチームラボのイベントでも見に行こうとも思ったが、ここでも、
でもな〜。ひとりで行ってもなんか寒いし、やっぱりやめた。ちょっと行ってみたいんですよね。でもひとりではやっぱムリっす、、。

新橋からどこに向かうともなく歩いてると虎ノ門にたどりついてしまいました。
虎ノ門。。森ビルばっかりが目立ちます。。虎ノ門ヒルズも森ビルやったんやね。、、

そらそうやろ。。

なんかこの感じ、この光景どこかで見たような気がするな。。なんていう既視感の奥の方を探っていたら、猪瀬直樹さんの「日本国の研究」に記されてあった内容だったことがプカリと記憶の表面に浮き上がってきます。

猪瀬さんの「日本国の研究」読んでみてください。

「永田町の中央政府霞が関の中央省庁、虎ノ門特殊法人公益法人。日本はこのトライアングルが各省庁ごとに存在する連邦国家

そしてそのトライアングルのさらに東側に広がる都心の広大で空虚な森、「皇居」
日本全国民の精神の象徴。どこまでも空虚な「皇居」があるわけです。詳しくは猪瀬さんの「ミカドの肖像」を読んでください。

日本の中心に広大な空虚な森がそこに拡がる。

 

なぜ虎ノ門は森ビルだらけなのか?
それはですね、中央省庁の天下り先の特殊、公益法人を森ビルがガンガン取り込んで経営の基盤にしたからなんですよね。戦後森ビルはそこにビッグチャンスを見つけて大成功したわけです。ナントカ法人は家賃滞納も踏み倒しもしない、国民の税金が資本の組織なので日本が潰れない限り安泰な組織なのです。

当然ですよね。

とある虎ノ門の番号付きの森ビル1階にあるテナント表を勝手に入って見てみたら、ナントカ法人だらけでした。本で読んだことを自分の足を使って見ていくと違う感じ方があるもんです。面白い。
だけどゆがんでるよな、このトライアングルとこのシステム。特殊法人にいるどこぞの省庁から天下ってきた人たちってほとんど大した仕事もせずに、バカみたいに高い給料もらってんだな。。その金はどこから出てんのか?

税金ですよ税金。

それでも足りなければどうするの?

借金ですよ借金。

物言わない未来の子や孫から金を借りる。

先細りの年老いていく我が国ニッポン。

そんな金あったら「万引き家族」に分けてやってくれ。。
国の借金は1,000兆超えてますからね。国民一人当たり900万円弱ですよ、。

 

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そんなことに思いを巡らしつつ六本木通りを渋谷方面に歩いてたら、六本木で北朝鮮の写真展が開かれてることを思い出し、六本木の山崎文庫へ。
こんなとこに写真館があるとはね、六本木交差点ちかくの雑居ビル地下の写真館。展示された写真には題名も注釈もなく、たくさんの「今の北朝鮮」の姿を無言で訴えていました。

当然撮影の時はコーディネーターが監視してるので驚くような写真は一枚もなかったが、北朝鮮人民。写ってる人はみんな痩せてる。日本みたく無駄に太ってる人は1人もいないな、あと寒そう。

焼肉とか冷麺とか、食べた事ない人達がこの中にいるのかも知れない。毎日何食べてるんだろう。

毎日何が楽しくて生きてるんだろう。。でも意外に笑ってる人も沢山いるよ。。
核廃棄実現、拉致被害者問題、戦後賠償100兆円要求とも言われたりして、この先どうなるのでしょうか。。

そして、

六本木から西麻布、青山通り、表参道、原宿あたりで疲れて電車に乗って新宿へ。。
新宿のブックカフェに入ってダラダラと本読んで、休日の1日は何となく更けていくのでした。。
ふと気がつけば今日も20キロ歩いてました。

そんな1日。

雨ですね☂️

 

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レースのタイトスカートの女

ノースリーブにホットパンツ姿で、晴れた日のベランダで若妻が網戸を掃除する季節となりました。想像してみてください。興奮が止まらないです(*_*)
暑いですね。でも今日は一日中雨。
梅雨入りらしいですよ。
みなさんいかがお過ごしでしょうか?

衣替えの季節も過ぎ、女性の方のファッションも夏に向かって変化していくね。いいね。超イイね(^-^)

去年あたりからレースのタイトスカートを履いてる女性をよく見かけます。。
アレ大好きなんですよね。アレ履いてる人を見つけると後ろからついて行きたくなるね。

白も好きだけど、黒もいいな。
やっぱり黒やろ、いや白のほうが清楚でええな(*_*)
とか楽しい気分になってきます。
しかしこの前、緑のレーススカートを履いた人がいました。ミドリって、。グリーン自体は嫌いではないです。五月みどり木之内みどりミドリ電化も嫌いじゃないですから。。
でもね、その合わせ方が納得いかなかった。ジーンズの上にミドリのレーススカート。靴はナイキの黒いスニーカーって。。ダメなコーディネートでしょ。こういう合わせ方ってどうなのか?新しいのか?でもこのセンスには着いていけない。ファッションにルールがあるとは言わないがそれはどうもね。なんて思ったりする。

先週、広尾の交差点で信号待ちしてたら目の前にタクシーが止まって中から若いおかあさんと幼稚園児の男の子が降りて来ました。
その女性は全身ワインレッドのレースのスカートではなくワンピースでした。
スケスケやん。ごっつええやん。。ってよく見たらゆーこりんでした。小倉優子です。
赤もあるんだね〜って感心してたら、スカートではなくワンピースで、しかもゆーこりんだったのでかなりうろたえてしまいました。
「コリン星にはたまには帰ってるんですか?」なんて聞く術もなく。
レースのワンピースで、それが赤で、またそれが小倉優子だったという三段階の驚きで、子供と話しながら歩いていく背中を、ただ幸せな気分で眺めていました。

ゆーこりん、いろいろ大変やろけどがんばろなー、特にファンではないけど(*_*)
今日は雨。ほとんど家にいました。期日前投票を終えた中野の区長選は盛り上がってると思いきや、投票率が低くてがっかりです。

そんな日曜日の夜。。とくに盛り上がる場面もなくダラダラ書き連ねた文章ですみません。、
やっぱりスカートはいいよな。スキニーのパンツやジーンズはチキンの足みたいでイマイチやわ。
レースのタイトスカート、透けてるようでそうではないあの感じが大好きだという話です^_^

 

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8.15に寄せて 戦争体験者に聞いた話

南洋の良く晴れた空と静かな海。

インドシナの港に停泊していたその時に自分が乗員していた巡洋艦が米軍の戦闘機に襲撃を受けた。突然の事態で応戦しようにも隊員はほぼ戦闘配置についていない状態だった。甲板にいた連中は全員一人残らず、空中から雨のように打ち込まれる機銃や大型の魚雷で打ちのめされ、千切れた腕や胴体や首が、「餅投げ❇︎」の餅みたいに宙に舞い、それが次々と海に落ちていくのを見た。その中にさっきまでそこにいた上官の生首があった。黒いススだらけの顔面に開いた両の目はカッと大きく見開き、青く晴れた空を睨みつけていた。

自分は爆弾の衝撃でめくれ上がり、豆腐ほどの厚さもある焼けた鉄板の影に隠れるだけで精一杯で何もする事ができなかった。鉄板の熱で右足を大火傷したのだが、隠れている間は恐怖で火傷の熱さも何も感じなかった。

低空飛行で飛び去って行く戦闘機の尾翼には水着姿で微笑む女の絵が描いてあった。それを見た時、アメリカとは一体どんな国なんだ?聞いていた話とは全く違うみたいだ。お国のためにという思いひとつでこんな遠くまでやって来たが、経済的にも物量的にもその他あらゆる面で日本とアメリカの間には、アリと象ほどの大きな差がついており、そんな国に日本が勝てるわけがないだろう。と思った。

今でもあの日のことを夢に見る事がある。

それとは逆に戦地にいた時は、家族と過ごすやさしい夢ばかりを見ていて、目覚める度に例えようのない陰惨な気分になる事を繰り返していた。

ここから生きて祖国に帰れる気がしなかった。(祖父の弟さんから聞いた話)

 

❇︎餅投げ…西日本⁈に伝わる慣習で、一戸建ての棟上げ式の際に、近所に住む人たちや親戚を呼んで「餅投げ」と呼ばれる儀式を行います。施主やその家族が屋根に登って、お祝いに来てくれた人たちに向けてお餅やお菓子、お金を投げる。集まった人たちはそれを上手くキャッチしたり拾ったりします。今はあまりやらないそうですが僕が子供の時はあちこちでその小さなお祭りみたいな楽しい光景が見られました。


京城[現ソウル]から日本への引き揚げ船が出港する釜山の港まで、幼い子どもを連れて夜通し歩いた。とにかく後方から迫って来ているという、姿の見えない数千ともいわれるソ連兵が恐ろしくてたまらなかった。彼らに捕まったら最期、日本人を見つけたら服や金目の持ち物を没収されるだけではなく女子供も容赦なく、捕まったら殺される。それだけではなく、その殺された人間の皮膚までも剥がして、地面にそのままの姿で無残に捨てられると聞いた。私の命にかえてでも子供は絶対に守り抜かないといけない。だから捕まらないように、何も食べず飲まずに昼も夜も必死に歩き続けた。

釜山の港に着いた時、引き揚げ船を待つ日本人の数の多さに驚いた。色のない服を着た無表情の日本人の列がどこまでも続いていた。船の切符をもらうために半日ほど列に並んでいた。歩いてここまできたのに半日も立ったまま待たされた。切符をもらうと疲れ果て地面に座って自分たちの名前が呼ばれるまで、眠ってしまうのを我慢しながら順番を待った。

船に乗り込むには甲板から吊るされた縄ばしごを登るしかなかった。かなり高い位置まで登らないとならず、前を登っていく子供は小さな手と足を懸命に動かし、泣きながら登っていた。大人の私でも足がすくむような高さなのに子供にしたら想像以上に怖かっただろう。

無事に帰ることができて良かった。

(祖母から聞いた話)

 


花火のようだった。色のない白い花火。巨大な銀色の機体をしたB29から投下された後にそれは空中でパッと眩しく、まるで花が開くように見えたからだ。遠くで見るだけだととてもキレイだったけれど、焼夷弾と呼ばれるその白い花火は佐世保の街を跡形もなく焼き尽くした。

大空襲の翌朝、暗く狭い防空壕から外に出たら、真っ黒に焼けた街並みがどこまでも続いていた。焼けてしまった小学校の近くに、黒く丸焦げになった子供の死体が転がっていた。この子の両親はこれを見てどう思うのだろうか、これがもし自分の幼い弟だとしたら、、と想像がそこまで至った瞬間に、悲しみとも恐怖とも違う、憎しみの殻を突き破って出てきた悪魔のような黒々しい感覚が自分の内側の隅々までを真っ黒に塗りつぶしてしまった。その日から私は口がきけない子供になってしまった。

(小学校の担任の先生が語った戦争体験)

 


女性なのに衛生兵として志願して戦地に渡った叔母は、敗戦後、フィリピンからいつ沈没してもおかしくない半壊した輸送船に揺られて帰ってきた。

ボロボロの軍服と、頭には汗や泥で汚れきった国民帽を被って彼女がウチの玄関に立った時、それが誰なのか全くわからなかった。他人なのに図々しく無作法な兵隊さんだと思った。男なのに随分と小柄な兵隊さんだと思った。その人は帽子をとると、ボツボツとあちこちが脱毛した不恰好な坊主頭が現れた。

それが戦地から帰ってきた叔母だと認識できるまでに時間がかかった。

なぜ坊主頭なのかと聞いたら、男の格好をしてないと仲間からも敵からも襲われるからだ。と答えてくれた。

(母から聞いた親戚のおばさんの話)

 


原爆投下直後の広島市広島県産業奨励館(原爆ドーム)近くの橋の上で撮影された写真について。

ーこれは原爆が投下されてから3時間ほど経った時の街の様子をとらえた写真です。薬品や飲料水を求めて沢山の人々が列をなしているのがわかります。皆さんボロボロになった服や布をまとってるように見えますが、これは服でも布でもなく人間の皮膚です。全身の皮膚が原爆の熱風によって焼けただれて剥がれ、腕や背中、お尻からぶら下がっている状態です。

全身大やけどで、2、3日もすれば剥がれたむき出しの部分からは大量の蛆虫がわいてきます。最初のうちは1匹1匹を指で潰して殺すことができますが、そのうち体力がなくなり潰す気力もなくなると、蛆虫にまみれて苦しみの声をあげる気力すらなく、静かに死んで行く方々が沢山いました。

(広島原爆資料館被爆二世の職員の話)

 

今日は8月15日なので、あの戦争について主に子供の頃、実際の戦争体験者の方に聞いた話、また人づてに聞いた話を文章にまとめました。

僕が生まれた昭和47年は戦後27年で、1951年の経済白書に「もはや戦争ではない」という言葉が記された年からずっとあとの時代でした。もちろん戦争の経験などなくディズニーランドのような国家観の伴わないゆらゆらとした時代に生まれ育った人間です。

長崎、佐世保という土地柄なことも手伝ってか、自分が子供だった頃にこういう話を戦争を体験した大人たちから聞く機会が良くありました。

戦争の陰惨な記憶など振り返りたくない。というのが彼らの本音だとは思うのですが、子供だったボクには話しやすかったのかもしれないです。

高度経済成長の終わりに差し掛かる、明るい未来を誰もが信じた煌めく時代の日本に生まれ、それからさらに46年。

その記憶は風化されていきそうで、それをどうしようとかそんな大それたことではないのですが、思い出したくもないことを、わざわざ伝えてくれたことに感謝をし何より忘れてはいけないと、そう思い。

だから書いてみたまでです。

 

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語り継がれる戦争の記憶

半分青い。毎日見てる。面白い。

ヒロインのすずめの祖父の仙吉さんがサザンの「真夏の果実」を歌ってた。孫に戦争の事を聞かれて、そのことは語らず、代わりに歌っていた。
すずめはぼくと同年代の設定で、仙吉さんは戦争経験者。満州からの帰還兵という設定。
違和感を感じた。自分の祖父も祖母も戦争を生き抜いた世代なのだが、サザンは歌わなかった。
多分その存在すら知らなかったかも知れない。戦争を語り継ぐ事は必要なのだが、こういう風になっていくんだな。無理があるな。

生まれた時から街の中心を米軍に占拠された佐世保の生まれなので、空襲や原爆の過酷な話もその世代の人たちから聞く機会が他の土地の人よりあったと思う。
戦争のリアルを語り継ぐのは難しい。

半分青い。面白い。来週も楽しみ。

 

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面白い出来事

白金のプラチナドンキあたりを歩いてたのですが、前方から休日を楽しむ風のプチセレブなおっさんが子犬2匹を連れて歩いてきました。

そのうちの1匹が立ち止まってウンチを始めたので、便を掃除して子犬の肛門をティッシュで拭いてました。おっさんは中腰でお尻をおもいっきり突き出した姿勢で子犬のケツを拭いてるのですが、その突き出したおっさんのケツをもう1匹の子犬がクンクン匂いを嗅いでました。

 


肛門を拭くおっさんの肛門の匂いを嗅ぐ子犬のその感じが、いまのとこ今年で一番面白い出来事です。

 


写真は白金のスタバでまどろむオレ。

 

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妄想と演出。そしてリアル。

自分もたまに面白いと思ったことを日記風にして、小説風にして、妄想的に書いたりするのが楽しいのですが、それがすべてホントかどうかというのはそれを読む人に委ねるしかない。どう思ってくれてもかまわない。自分にとってそこは重要ではない。全部ホントなわけないじゃん、妄想だよ妄想。ってそこはグレーにしておきたい。

テレビも同じ。そこでは妄想の代わりに「演出」という言葉が使われるのだが、それを真顔でヤラセだとか指摘されても。。じゃあ全部ホントのことだけで構成した番組作ったとして、そんなもの見たいかな?

日々の日常生活というものが刺激的なものではなく、退屈で平坦なことにそれは似ている。

テレビはバラエティはそっちの方向に向かってるんだな。だからおもしろくない。わかんねえやつらにレベルを合わせている。悪い意味で真面目、というか物事を判断する力が弱くなってきてるんだな。。

テレビが面白くないって事を言いたいのではなくて、そうさせてるのは誰なのか。って事です。
今日やっていた「水曜日のダウンタウン」のケンコバプレゼンの企画はオモロかった。イロイロ規制はあっても面白いもの作ろうとしてるスタッフの熱みたいなものを感じた。久しぶりに。
その企画考えたのが自分と昔一緒に仕事してた人だったのでさらに驚いた(*_*)

 

https://dot.asahi.com/dot/2018051500035.html?page=1

 

 

 

楽しい演歌の花道

ひとりで飲みに行くのですけど、この前入った店は何の変哲もない串カツのチェーン店。

ぼくはその店にたまに行くのですが、店内にかかってる音楽が面白いんですよね。

大体は昭和歌謡がメインなのですが、先週行った時は全部演歌でした。ずっと演歌特集だったんですよね。

有線なのかなぁ、YUSENではなく、「有線」の方です。

僕ぐらいの年代から上の人ならば全部知ってる名曲のオンパレードで、それを聴きながらホッピーと串カツでした。

 


演歌の歌詞ってよくよく聞いてみると変な内容なことに気づかされます。

 


例えば、

朝から晩まで木を切る与作と言う名の木こりの歌、とか。いや、与作って。。そんな変な名前つけられたら親に反抗して一生引きこもり生活するわ(*_*)

誰にも着てもらえないセーターを寒さに耐えながら編み続ける奇特でストイックな女の人の歌、とか

絶対別れたくないのに、なぜか別れてしまった女の人を思いながら東北地方をひとりで旅行するちょっとイタい男の人の歌、とか。

雨が降ると好きな男の人が現れると信じて、雨乞いをする変わった趣味を持つ女の人の歌とか。

いろいろ他にもあるんですよね。

よく聞いてみると笑ってしまいます。

オモロイな〜。また行こう(*_*)

 


北島三郎 「与作」

都はるみ「北の宿から」

山本譲司みちのくひとり旅

八代亜紀「雨の慕情」

 

 

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