ごぶごぶごぶの日記

お金をかけない東京散歩ほか、走ること食べること思うことを書いてます

おとうさん はタイガーマスク

小学校低学年のころの話です。
当時プロレスブームがものすごく盛り上がってまして、毎週土曜日夕方から新日本プロレスの試合を放送してました。
ワールドプロレスリング」うわ!このタイトル聞くだけで懐かしさとともにあのときの興奮がよみがえります。。当時、僕ら年代の少年たちはほぼ全員、みんなブラウン管に釘付け。でした。簡単には抜けないほどに釘付けでしたよw
アントニオ猪木坂口征二藤波辰巳長州力、タイガージェット・シン、アブドーラ・ザ・ブッチャーハルク・ホーガン、ブルーザー・ブローディ、テリー・ファンク、ダイナマイトキッド、アニマル浜口ラッシャー木村マサ斉藤w。。
いやいや、もう当時のレスラーってどれもこれもキャラクターが濃すぎて、いまだに名前がすぐに出てくるほどです。なつかしw
それで、
もう1人まだ上げてないあこがれのレスラーがいるのですが、、
それはですね、あの伝説の男ですよ、彼ですよ、彼。わかりますか?
その名は「タイガーマスク
めちゃくちゃカッコ良かったです。初めて見たときの興奮たるや、。無敵のその強さといい、素顔を見せないミステリアスなキャラクター性といい、、
どのレスラーにもないアクロバティックな動きで、あっという間に相手を倒してトップロープでポーズを決める姿がまぶしかったです。
まさしくスーパーヒーローでした。
当時のプロレスに詳しくない人も彼のことは知ってるとおもいますが、どうですかね?

それで、タイガーマスクのことをボクは結構な期間、ですね。これがとても笑えるのですが親父だと思ってたんですw
え?はい。そうです。マジでそう思ってました。スゴいですよね。タイガーマスクがウチの父だっていうあり得ない妄想を、当時のボクはしていたわけです。
なぜかって?
理由は二つあって、
タイガーマスクは覆面レスラーで当然マスクをかぶって顔を隠しています。
それでその鍛え上げられたマッチョな体つきが当時の親父にそっくりだったってことがひとつ。前にも少し書いたことがあるのですが、ウチには当時にしては珍しいベンチプレスのフルセットやサンドバッグがあり、30代当時の親父は毎日それを使って体を鍛えていて、かなりのマッチョ体型でした。
あと、もうひとつはタイガーがテレビで試合をしている間、父は必ず家にいないんです。必ずです。不思議でしたねw
試合前は家にいるのに始まると、なぜかいなくなるという、それで何度か後をつけてみようとも試みたのですが、試合を見たいのが我慢できず、あっさりあきらめてしまうのでした。

だから、ボクは結構な期間、ウチの親父をタイガーマスクだと思っていたわけです。
笑えますね。当時からボクはそんなおかしな妄想にとらわれる、奇特でかわいそうな子どもでした。

それで、その親父が先日なくなりました。

しかし、いまだに彼がこの世からいなくなったなんていう実感がないのです。それほどに自分にとって父の存在がデカすぎるというのがその理由なのでしょうけど、まったくピンとこないのです。
告別式で急に胸にくるものがあって、悲しくなって泣いてしまったものの、いまだによくわからないのです。
ヨメにそのことを話してみたら。
「そのままでいいんじゃないの、なくなった後の方がより身近に感じられる。心の中に生き続けているっていうことだよ」みたいなことを言ってくれたので、ええこと言うわね。、天晴れやな、なんて思っちまいました。

お通夜、告別式には500名近くの方々が参列してくださいました。父が生きている間に交流があった人たちが、彼の死を悼んでくれました。
ホントに親父はスゴイ人でした。もちろん知ってたけど、いなくなってからその大きさがあらためてわかります。

いろんな事を思い出していました。小さい頃は親父のことがホントに大好きだった。保育園からの短い帰り道を一緒にバイクに乗って走ったり、兄と自分とどちらが親父と一緒の布団に寝るか争うように毎晩ケンカしてたり、その太い腕と分厚い胸の中に抱かれて眠ると親父の体から伝わってくるその体温が焼けるほどに熱くて熱くて小さいボクはその熱にむせ返りながらさらに小さく溶けてなくなってしまうんじゃないかなんて不安になったりして、やがて朝になり消えてしまわなかった自分は変わらず親父の腕の中にいる事に安心して涙を流していた事を思い出していた。

しかし、そんな父は仕事に対しても、家族に対してもとても厳しい人でした。そんな幼い頃を過ぎ、思春期に差し掛かった頃のボクは、成長するにつれだんだん厳しくなっていく父のことがものすごく嫌いになっていくのでした。きびしくされる事が愛情だという事など理解できなかった。

とにかく怒らせたら怖いので反抗することもできず、なるべく父との距離をとることばかりを考えていて、高校を出てそして佐世保を離れて大人になってからは話すこともなくなり、多分電話で話した事もないような気がする。帰省してる時も意図的に避けていたり、どんどんその距離は離れていくだけで、最期までゆっくり向き合って話しをしたことがありませんでした。後悔してます。もっといろんなことを聞いておけば良かった。話しておけば良かった。そう思ってます。

突然、聞いたこともないような脳の難病にかかり、医者からは本人を前にこの病気は治ることはないと宣告され、徐々に足腰が弱り、歩くこともままならなくなっていくのに、それでも家の中でリハビリを続けていました。毎日毎日、来る日も来る日も病気から必ず回復してみせると信じ、動かなくなっていく体をひたすら動かそうとしていました。ふつうだったらあきらめてしまうだろうに、父は治ることを信じて健気にリハビリに励んでいました。本気で治そうと思ってたんでしょう、不可能なことを可能にしてきたことが父の人生そのものなので、努力をし挑戦し続ければ乗り越えられると信じていたのでしょう。
でも、勝てませんでした。、、
なんか書いてたら、泣きそうになってきます。すごいな。おれだったらあきらめて、愚痴とか言ってしまうんだろうな。
もしかしたら、なにも語らず黙々とリハビリを続ける姿は、「治らない」と知っていながら続けていたことなのでしょうか。。その姿を子供である僕らに見せるために、自分の生き様をみせつけるために、、だったのでしょうか。。
いろいろ考えてしまいます。

亡くなったあとに、ある知らせが入りました。

ウチの親父、天皇陛下から黄綬褒章を受勲することが決まったらしいです。二度目ですが、、
一度目の受勲で皇居に招待され、天皇としゃべって一瞬金玉が震えたって話してましたw それを聞いて金玉って震えるもんなんだな〜って初めて知りました。オレもここ一番の時に自分の金玉を細かく震えさせたいものです。細かくですw
例えば芸術分野で芸能人や芸術家が受勲する紫綬褒章ってあると思うのですが、黄綬褒章っていうのは様々な産業分野で功績を残した実業家に送られる褒賞らしく、、、やっぱりすごいっす。親父、死んでもなお日本で一番えらい人から褒められてますw
不可能を可能にする男です。やっぱりすげーよな!

おとうさん。おとうさん。まぼはあなたを見習って、今よりもう少しがんばって生きてみようと思います。
天皇陛下から賞はもらえないとおもうけれど、自分なりに恥ずかしくない人生をがんばって生きようと思います。
いろいろお世話してもらって、ありがとうございました。ボクを育ててくれてありがとう。
さようなら。。さようなら。。

 

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